カウンセラー紹介

カウンセラー 山口 幹生

企業経験豊富な心理カウンセラー

山口 幹生(やまぐち みきお)
1964年11月21日生まれ 血液型:B型 星座:蠍座
東京都世田谷区出身・在住
趣味 ゆるいジョギング、筋トレ、ゴルフ、読書

職歴

1989年〜 クレジットカード会社/営業企画・システム企画・事務企画
2001年〜 ITベンチャー/人事、営業経理、総務
2008年〜 ホールディングス(持株会社)/人事、総務
2012年〜 BPO事業・派遣事業会社/管理部門責任者(人事、総務、経理)
2014年〜 BPO事業・派遣事業会社/管理部門担当取締役(人事、総務、経理)

2020年 12月〜 Mental Progress開業/カウンセリング、人事・労務系コンサル
2021年 3月〜 神奈川県横浜市のメンタルクリニックと業務委託契約締結
2021年 8月〜 命と心の悩みSNS相談員
2022年 8月〜  LGBTQの悩みSNS・電話相談員

学歴

1989年3月
青山学院大学経営学部経営学科卒業
主な専攻科目
心理学(概論)、人格心理学、経営心理学、発達心理学
広告論、広告表現論
2020年8月
リカレントメンタルヘルススクールにて
EAP心理カウンセリングコース修了
EAPカウンセリング実践コース修了

資格

  • EMCA(特定非営利活動法人EAPメンタルヘルスカウンセリング協会)認定
    eMC®︎/EAPメンタルヘルスカウンセラー
  • メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅱ種(ラインケアコース)合格

なぜカウンセラーに?

私は、企業人生活を30年あまり続け、最後の6年間は管理部門担当取締役を務めましたが、その中でも人事分野での15年間が私にとってとても重要な日々でした。

社員のメンタルヘルス向上のため、産業医の先生からメンタル疾患についての医療知識を学び、また、メンタル不調者の相談や就労条件の変更、休職・復職における社員へのフォローといった対応についてご指導をいただきました。

そして、大学で学んだ心理学の知識に加え、心理カウンセリングの技法(主にカール・ロジャーズの来談者中心療法)を学び、メンタル不調者の支援及び防止の観点から多くの社員と個人面談を重ねて参りました。

このような経験をカウンセリングに生かすことができると確信したことが一つ目の理由です。
また、私自身が学生時代から数年前までの長い間、あがり症で人前に出ることに苦痛を感じる社交不安に悩んで参りました。

それを克服するために心理学や精神疾患、パーソナリティ障害、発達障害などについて勉強し、その対処方法として認知行動療法や森田療法などを参考にしながら長い時間をかけて克服して参りました。

その経験を土台として、不安に苦しむ方々が自分を取り戻し、幸せな生活を送る一助になればと言う思いが、二つ目の理由となっております。

不安や悲しみなど悩みを抱える方々は、本当にお辛い思いをされます。
また、同時に当事者だけでなく、ご家族や友人・知人の方々が心配したり、仕事に支障をきたしたりと、周りの方や所属する組織やコミュニティーにも影響が出ます。
一人のクライエントをカウンセリングを通して支援することにより、周りの方が幸せになれるように意識してカウンセリングを行い、少しでも社会貢献ができればと考えています。

余談ですが、社交不安を克服する過程においてパターイップスも治りました。
イップスでお悩みのゴルファーの方がいらっしゃれば、カウンセリングの中でそんな経験もお話したいと思っております。

今の私を構成する人生経験

小学校〜高校時代

スポーツが大好きだった私は、高校を卒業するまで生活の中心はスポーツでした。

小学校時代は野球、中学時代はバスケットボール、競泳(自由形)、陸上(中距離走行)、高校時代はサッカーとスポーツに明け暮れました。

スポーツで学んだことはチームワーク、仲間の大切さ。
水泳や陸上は個人競技ですが、一人で練習することはありません。
レギュラーを争うライバルも一緒に苦しい練習を共にする仲間です。

練習や試合本番の苦しさは一人であれば克服できなかったでしょう。また、みんなで得た喜びは、絶対に一人では得ることはできなかったでしょう。
そして、悩みや苦しい気持ちを打ち明けられるのは、一緒に苦労した仲間でした。

大学時代

西洋文化への憧れが強かった私は、2年生の夏休みに2か月のアメリカ大陸横断一人旅、3年生を終了した時点で1年間休学し、ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアに自分を試す旅に出た経験が自分に大きな影響を与えるていると考えています。

アメリカは生まれて初めての海外の地

カリフォルニア州のサンフランシスコから、ネバダ州のラスベガス→ミネソタ州のミネアポリス→ウィスコンシン州のブラックリバーフォールズ→ルイジアナ州のニューオーリンズ→フロリダ州のデイトナビーチ→ワシントンD.C.→ニューヨーク州のマンハッタン→マサチューセッツ州ボストンとアメリカ大陸を2ヶ月かけて横断しました。

アメリカ国内での移動は飛行機やレンタカーも利用しましたが、主に長距離の夜行バスを利用して宿泊費を節約しました。
また、渡米前の準備段階から、アメリカに知り合いのいる友人たちに、現地の知り合いにベッドの提供をお願いしてもらったり、当時アメリカに留学している友人宅に泊めてもらったりして、貧乏旅行なりに現地の家庭にお世話になるなど、異文化体験という貴重な体験できました。

オーストラリアでの日常生活

スキューバダイビングを極めるために、クイーンズランド州東岸に位置する港湾都市で、グレートバリアリーフへのアクセス基地となるタウンズヴィル(Townsville)に長期滞在し、珊瑚礁や沈没船(Yongala Reck)ダイビングを堪能しました。
そして、アルバイト、ダイビングの資格取得(PADIのRescueDiver)のための勉強やトレーニング、そして試験を受けるなど、色々な経験をすることができました。

働いた経験としては、タウンズヴィル(Townsville)では、引っ越し屋さんの助手アルバイト、シドニー(Sydney)では免税店の営業部員、見知らぬ外国の地で働くという貴重な経験を積むこともできました。

日本人としての自覚の芽生え

アメリカの一人旅は、初めて海外に出て日本人としてのアイデンティティが芽生えた旅でもありました。
日本人は海に囲まれた立地に暮らす単一民族。日本を出なければ日本人の自覚は生まれないのかなと感じました。

現地の方は、日本人に対してとても親切だという印象がとても強く、見知らぬ方々出会っても、訪れる土地では随分と親切にしていただきました。恐らく私が童顔の上に身長が低く、彼らからすると危なっかしく映ったんでしょう。

しかし、親切に感謝する一方、自尊心を傷つけられもしました。「日本人を子供扱いするな!」という思いを感じた時に、日本人としての自覚が芽生えたことを覚えています。

「旅は自分を映す鏡」

海外での一人旅や生活は、華やかで楽しいことも沢山ありましたが、辛く、情けない、怖い経験も沢山しました。

旅の途中で出会った方が「旅は自分を映す鏡」だと言っていました。
まさにその通りで、日本で生活している時は、親、学校、友人、近所のコミュニティなど、後ろ盾になるものがあるの当たり前でしたが、海外ではいざというときの後ろ盾がありません。
困った時や不安に駆られた時は本当に心細い気持ちになりました。
そんな思いをするまでは、自分一人で何でもできると自分を過大評価していました。

しかし、海外では、不安で心細い、自分で決める勇気が出ない・・・できれば誰かにお願いして決めてもらいたいと考える自己肯定感の低い自分に出逢うことが多々ありました。
日本にいて海外渡航の準備をしている時にはそんな気持ちは微塵もなかったのに・・・
旅に出てみないと分からないことだったんですね。
「旅は自分を映す鏡」という言葉が身に染みました。

楽しいことも充実したことも沢山経験して、そんな時の自分も「旅という鏡」は映し出してくれましたが、日本にいる時には気が付かなたった弱い自分を見せつけられ、自分の小ささ、非力さを認識させられました。

企業人時代

バブル崩壊と会社更生法

新卒でカード会社に入社し10年を過ごしました。
担当は、営業企画、事務企画。会社組織運営の効率化、合理化のための仕組み作りを主に担当していました。

私が入社した1989年はバブル崩壊の兆しが感じられ始めた時で、その後課長代理に昇進した頃にバブル崩壊が会社に与える影響が実感され始め、ついにはスポンサーだった某大手金融機関破綻の煽りで我が社も会社更生法を申請することになりました。

新たなスポンサー企業の元で再出発をしましたが、スポンサー企業からの出向社員による会社支配下では、我々破綻した会社の社員は何とも肩身の狭い思いが付き纏い、精神的に不健全な状態で働いていましたが、再生の目処がたった頃、自分の可能性を試したくて、ベンチャー企業に転職しました。

ITベンチャー企業での挫折

転職したITベンチャーでは大手企業から、あるサービス事業を譲受して運営するために新設された組織に配属されました。
担当は、営業経理の新規運用設計や請求システムの運用責任者。
新事業立ち上げは望むところで自信もあったのですが、あまりの過酷さに抑うつ症状や不眠に悩まされ、メンタルヘルスや自己啓発に興味を持つきっかけとなりました。

この頃のベンチャーは一攫千金を目論む方々や、自分に自信があり、やりたいこともしっかりイメージできている、自己肯定感が強く仕事とお金に貪欲な方々の集まりでした。

ベンチャー企業の文化はこれまでいた大企業とは違い、自分の担当以外にも必要なことはなんでも自分でやるのが当たり前で、利益追求のため必要最低限のメンバーで構成される組織では甘えは許されません。

また、コストや利益についても非常にシビア。
前職でどれだけぬるま湯に使ってきたかを思い知らされました。
そんな状況で、自分の担当する請求システムの開発がうまくいかず、新規事業スタートに間に合わなかったらという恐怖と、どうしたら良いか分からないと途方にくれた挙句に、眠れなくなりメンタル不調となりました。

その当時は、ベンチャーは実力主義のもと、企業の安全配慮義務やラインケアなどの認識が労使ともに薄く、ダメなら辞めてもらうということを労使で納得していた時代なので、メンタル不調だから医者に行くとか休職するといった発想は全くありませんでした。

そんな時に私の窮状を見兼ねた同僚から「ベンチャーは傷ついてそれを乗り越えて行くのが当たり前。俺も傷だらけだよ。何かあったら相談に乗るよ」と励まされました。励ましの言葉がこれほど身に染みることはありませんでした。
この励ましが転機となり精神的に立ち直り窮状を乗り切ることができました。人の心に寄り添う大切さを実感しました。

メンタル不調者への支援

その後、転職した先もITベンチャー。そこでは人事のマネジメントを任されることになります。
その企業では、お客様のシステムを24時間365日での監視と運用の代行を主力のサービスとしていました。
運用監視業務は、お客様の大切なシステムを支える仕事。当然お客様のシステムは絶対に止めることが許されません。監視・運用のオペレータにとって非常にストレスフルな業務です。

当然、メンタル不調を訴えるオペレータが後を経たず、その時から本格的にメンタル不調者の対応を行うことになります。

不調者との面談、その上司との面談、必要があれば同僚へのヒアリングを行い、メンタル不調本人の状況を正確に把握し、産業医と情報共有し対応策を検討するとともに、職場環境の改善策の立案と現場社員への指導、啓蒙を行って行きました。

音信不通となったメンタル不調社員の安否確認のため自宅を訪問し、自宅で呼び鈴を押しても返事がない場合には警察に立ち会ってもらい、大家さんに合鍵を借りてドアを開て安否確認をすることも一度や二度ではありませんでした。
また、社員ら「電車を見ると飛び込みたくなる」と電話が入り、仕事も放り投げてその社員の元に向かい保護したこともありました。

この時の心を病んだ社員と接する経験が今のカウンセラーを選ぶ最も大きなきっかけとなっています。

社交不安の克服

自分が人前に出ることが嫌いなこと、恐怖を感じることが、社交不安症であると認識したのも、こういったメンタル不調者と対応し、うつ病や適応障害、発達障害、人格障害などを勉強するようになってからです。

会議での発表や発言、忘年会新年会といった場での挨拶、カラオケも含めて、人前で何かすることが苦痛で、できればその場から逃げ出したい、病気になって欠席したい、またそれを人に悟られまいと一生懸命平気を装ったり、人前に出る度に人知れず精神が疲弊していました。

そんな状況を改善するため、何冊も自己啓発本を読みましたが、最終的に「森田療法」に出逢い長年悩まされてきた社交不安から開放されることができました。

森田療法の関連図書を読み漁り、不安の扱い方を学びました。

  • 不安を消そうとするとその不安はますます増大すること
  • 不安の裏側には自分の実力を超えてこうあるべきという強い思いが存在していること
  • 不安解消にはあえて不安を避けずに突入すること

これを機に不安のメカニズムを医学的、科学的に理解し、不安に襲われた時にどう対処すれば良いかを自分なりに研究しています。

不安や心配事でお困りのことがあれば、お気軽にご相談いただければ幸いです。

苦しい気持ちをありのまま受け止め、あなたの味方となり一緒に考えます。
お気軽にご相談ください。